■ACジャパンの一連の“支援CM”に鼻白むのは、「本心」からのメッセージ性が感じられないからだ。SMAPとかいう5人組のアンチャン連など、CMディレクターがケツ叩かれて2時間程度で文章化した浅薄極まりなきコメント文を、ヘタな演技交えてシャベくっているだけということが如実に分かっちまう。
■この5人組のあとに登場するアノむさくるしいヤロウ、もとい。オトコ(※「トータス松本」とかいう芸名屋であると先日知った)に至っては、いったいぜんたい、「誰に」向かってコメントしてるんだ?である。“3年B組の生徒”かや?である。“金八センセイごっこ”ヤリたけりゃあ、ゲ~ノ~界内だけにしとけや!である。
■そもそも、ゲ~ノ~人なんざあ、「虚」をウリにする面々。それはそれで価値や意味性が厳然とあることは認めるが、こたびの大震災は、「実」そのものなのだ。「虚」が「実」に通じることなど絶対にありえん。
■もひとつ。いろんなゲ~ノ~人らがボード持ってシャベるバージョン。「買い占めは控えよう」「コンセントは抜こう」はまあイイとしても、「無駄な電話やメールは控えよう」には思いっきり噛みつこう~。「無駄」の定義をきっちりしてくれや!である。ワタシからみりゃあ、テレビ番組もCMも「無駄な」モノのほうがはるかに多いと思えるが。そもそもくだんの“支援CM”自体、無駄そのものだ。
■さらにである。「節約・セツヤク」との連呼を流ししまくるテレビ局のスタジオに注目しよう。報道番組にしてもワイド系番組にしても、大震災前と後で、セットの作りも出演者数も、そして最も肝心な「照明」もまったく変わっていないのだ。「照明、落とせや!」である。「まず魁より始めろや!」なんである。(続く)
■テレビ局で使うライトは最低でも一機1000W。5000W級も使う。それも相当数を同時にだ。その数とセットの規模は基本的に比例。セットの規模を縮小すりゃあ『セツヤク』とやらは簡単ということだ。
■テレビ局キー局は、非常用として大規模なガスタービン式発電機を自前で備えているが、だ・か・ら、照明を存分に使ってイイというもんじゃあなし。それこそ「ポーズ」だけでもイイから、ヤッテみいや!である。
■もひとつ、司会者だのキャスターだのも含めた出演者数。ズら~ッと並べた、それこそ『無駄な』コメント屋を減らしなさいやである。特に女性。照明を落とされるのを嫌うからだ。少しでも「若く」映りたいというお気持ちは、『平時』なら許される感覚でしょうや。
■アノ、深刻ツラをウリになさる安藤優子サンなど、“使いすぎ”の筆頭。「シワもまた魅力のひとつ」などとはこれっぽっちも思っていないんだろうが、ライトが当たりすぎてたまに、お顔がテッカテカの真っ白けに。初めてそれに気付いた時、“このオバン、カルピス・ソーダの飲みすぎかや?”と。ワハハのハ!
■『75日後』も皆サンのテンションが低下していないことを祈りつつ、これから、お陽様あたってテッカテカのまっ黄黄に光る菜の花食べる我がオリマス。
by s_masuzawa
| 2011-04-02 23:28
| ◆世事ひょうろん