■ただし、この会社自体は小休止どころか、完全に“OUT”だろう。存命しうる材料も可能性もほとんど皆無。いっそ今の時点で社名変更すればイイ。オススメしたいは『Out-door』。ピッタリすぎてハハハのハだね。少しは存命期間が伸びるかも。アウトドア業界が徐々に衰退したがごとく──。
■1980年代初頭に『Outdoor』なる雑誌が創刊された。夢中で読んだ。フライフィッシングを主軸にパッケージ化されていない情報が乱舞していた。そう、まさしく“乱舞”。未整理型手探り情報の競演。それが極めて新鮮だった。フライフィッシング情報も然り。揺籃期ならではのドキドキ感が堪らなかった。この雑誌こそが、我が国におけるフライフィッシングの基盤を築いたとたいそう評価している。
■「アウトドア」なるデッカイ装置の一部であってこそ、フライフィッシングなる“ギア”は活力を発揮できるもの。ギアだけ切り取って専門化しても空中分解するだけだ。それも中途半端な専門化であればなおのこと。ディズニーランドなるバカデッカイ装置があってこそミッキーマウスは活きるもの。ミッキーマウス自体がその装置のシンボルであれば、なおさらだ。そこに気付いている側と気付いていない側の差は極めて大きい。
■「ライブドア」なるギアも同じ。軸を構えるべき装置が曖昧、しかも半端に軸足を寄せていた装置を自ら否定した。否定しえなかったのは、プロ野球球団買収に名乗りをあげ、スポットを浴び始めた当初からウワサのあった『闇社会』のみ。その点が露見し始めている。“闇”は“陽光”を極度に嫌う。存在自体が危うくなるからだ。ドラキュラと太陽の関係性。太陽より実は“ニンニク”のほうが効果的なのだが、少なくとも“ドラキュラさん”への現実的対応としてはね──。
■『Outdoor誌』は、ミッジングの一般化・定着化をもリードした。「ライズ・フィッシング」といえば環境装置は“闇”と決まっていたのだが、“陽光下”でこそ似合うモノ!なる価値観は衝撃的だった。当時、毎年訪れた。岐阜県長良川の解禁日に。 2月1日。『明日』である。『Outdoor誌』が復刻でもしたら、また毎年、訪れるだろう我がおわす
陽光が似合うなあ〜「花」ってえヤツは。
by s_masuzawa
| 2006-01-31 21:02
| ◆ふらいふぃっしんぐゴッコ